イーディ アンディ タイトル

1962 andy warhol

ニューリアリスト展に参加

ニューリアリスト展後、アンディらはポップアーティストと呼ばれるようになる。
イギリスではすでに デイヴィッド・ホックニー らヤング・コンテンポラリー展(1961)に参加したアーティストを中心にイギリス・ポップと呼ばれていたが、ニューヨークではまだこの新進アーティスト達の呼称ははっきりしていなかった。

ニューリアリスト展参加直後、ロサンゼルスにあるフェラス・ギャラリーで個展を開く。 あの有名な「キャンベル・スープ」を出品。(同ギャラリーのオーナーが36点すべて購入したとゆう)

精力的にアーティスト活動をこなすアンディだったが美術批評家達の評価は高いものとはいえなかった。ひとつは今だに広告の仕事をやっていたからだろう。そもそもポップアート自体が広告的なものを引用し芸術として見せるところにアートとしての意味があるのだが、そんなポップアートを制作している本人が仕事として広告を制作していたのでは、果たして彼を芸術家として呼ぶべきなのか微妙ではあったろう。

実際に1961年にアンディはウインドウディスプレーの一部に自分の美術作品を使ったりしていた。

他にも、旧来のアーティストと一線を画す点は、彼の自己宣伝あったと言える。有名になりたいとゆう意識の強かったアンディは、大いに宣伝に取り組んだ(広報を担当する者さえ雇った)。ポップアートという旧来の概念を覆うアートムーブメントはまだ生まれたばかり。セルフプロデュース的な行為はまだアーティストとしてはマイナスに働いただろう。
とは言えもちろんアンディの作品を高く評価するものもいた。そのひとつのステーブル・ギャラリーはニューヨークでも有名なギャラリーで、ここに出品されたのは、キャンベル・スープ、マリリン・モンロー、エルビス・プレスリー、2ドル札、惨事シリーズなど、後世、彼の作品の代名詞となる作品だった。

ステーブル・ギャラリーはラウシェンバーグらの個展を開くなど、ポップアート潮流にいち早く注目していたギャラリーのひとつ。アンディが個展を開くにあたりオーナーから「2ドル札をアートに出来たら。。。」という話があったらしい。本気で言ったのか冗談だったのかはわからないが、アンディはみごと2ドル札を作品にしてみせた。
「惨事」シリーズはシルクスクリーンを使う前の制作方法がうかがえる。事件写真を拡大し、そのままキャンバスになぞって描いている。このプロセスそのものをさらにポップアート的なものにしたのがシルクスクリーンと言えるだろう。

edie sedgwick archives
andy warhol archives