イーディ アンディ タイトル

1968 andy warhol | → 1968 edie sedgwick

ヴァレリー・ソラニスに撃たれる

ヴァレリー・ソラニス。。。前年撮影されたウォーホルの映像作品に数分間だけ出演している。作家としての活動を望んでいた彼女は、台本をアンディに渡すが返事がないため盗まれたと思い込み、1968年6月3日事件は起こる。
SCUM(男性抹殺協会 - Society for Cutting Up Men)名乗る彼女の凶行で、アンディは重傷を負う。

至近距離から2発の銃弾を負ったにもかかわらずアンディは奇跡的に助かる。かろうじて一命をとりとめたアンディだが、彼の一番の興味はこの狙撃事件が「TIME」誌の一面を飾るだろうということだったらしい。確かに国際的アーティストとなっていたアンディ・ウォーホルが凶弾に倒れるとゆうことはトップニュースだった。
しかし、アンディの記事が一面を飾ろうとゆう6月5日。ジョン・F・ケネディの弟 ロバート・ケネディが、民主党の大統領候補指名選のキャンペーン中に暗殺される。このニュースは全米を駆け巡り、結局アンディの記事は一面で報じられることはなかった。

退院後ロバート・ケネディ暗殺事件の写真記事をもとに「フラッシュ」を制作する。このシルクスクリーン制作には、自らまったく手を下さなかったと言われている(サインだけは入れた)。ファクトリー(=工場)としての芸術生産、その行為そのものがポップアートと言えるだろう。

銃弾に倒れてからのアンディは人が変わったという。ファクトリーには(事件の前に移転していた)あの壁一面の銀のホイルはなく、事件前まではアンディも知らないような人や単なるジャンキーに至るまで出入りしていたが、事件後からは彼のごく近しい者のみが入ることを許されたという。
ファクトリーの入り口には受け付けが設けられアンディと会うにはアポを取らなければならないようになった。そこには「ファクトリー」が生まれたてのころの、開放的かつ全てを受け入れる姿勢はもはや存在しなかった。ファクトリーの初期メンバーとも言えるビリー・ネームや、チェルシーガールズにも出演していたオンディーヌも去っていった。

この事件をきっかけとしたアンディ・ウォーホルの変わりようは、その後の精彩に欠ける彼の活動と無関係とは思えない。

この年の初め「ロンサム・カウボーイ」は猥褻フィルムとしてFBIから調査を受けている。60年代、ポップカルチャーと共に急激に変化を遂げて行く若者文化への体制側の危機感のあらわれだったのかもしれない。

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