イーディ アンディ タイトル

1966 edie sedgwick | → 1966 andy warhol

イーディとアンディ・ウォーホルの深い溝

イーディにとって最後のウォーホル映画となってしまった「ルペ」が撮影される。ドラッグに溺れ死んでいく女性を描いたこの映画は、まるでイーディ自身の人生を暗示してるかのような作品となる。

同年、タバコを消し忘れ、住んでいたアパートの自室を出火させてしまう。彼女は軽い火傷ですんだそうだが、このときもドラッグで心身喪失状態だったと言われている。

しかし彼女にとって一番大きな変化は、アンディとの間にヒビがはいったことだろう。イーディはかねてからニューヨークで知り合っていたボブ・ディランに好意を寄せていた。そして二人は付き合うようになり、彼の提案で一緒に映画を撮ることを約束する。しかし映画の話はけっきょく白紙に。ほどなく二人は破局する。
ディランと映画を撮ることを決意していた彼女はアンディとの間に距離をおくようになっていた。 このことはアンディにとっては裏切りに見えたのかもしれない。そうやって次第に二人の溝は深まっていった。

ボブ・ディランの「Just like a woman」「Leopard skin pill box heart」は彼女に捧げた曲と言われている。ジム・モリソンをも虜にし、パティ・スミスも彼女に憧れた。

この年のクリスマスに数年ぶり実家に帰ったときも彼女に居場所はなかった。メディアで騒がれ有名人となっていたが私生活は荒んだものだった。すでにドラッグなしの生活はできないほどになっていた彼女は突飛な行動に出ることもあったし、アンダーグラウンドな先端ファッションは旧家の人間(特に父フランシス)には異様に写ったのかもしれない。

父はパトカーを呼び彼女を精神病院に強制入院させる。この時フランシスにかけあって、彼女をニューヨークに連れ戻したのがボブ・ニューワースだ。後年、イーディが「本物の恋人」って言うほどのニューワースは、イーディがニューヨークに出てきたころからの友人でもあった。すでにドラッグから手を引きつつあった彼は、彼女とドラッグを引きはなそうと努力するが無駄に終わる。
結局二人の間は長く続かない。ドラッグで別れ、その悲しみを埋めるようにまたドラッグに身をゆだねていった。

ボブ・ニューワースはボブ・ディランの親友とも呼べるソングライター。ジャニス・ジョプリンの「ベンツが欲しい」の作者。

アンディと疎遠になっていた彼女だが、依然ニューヨークでは注目を集める存在に変わりはなかった。しかしまたドラッグの弊害も大きかった。
「ヴォーグ」とのモデル契約もドラッグで失い、この年に契約した「チャオ!マンハッタン」の撮影も遅々として進まず、けっきょく一時中断となった。

プロデューサー、ロバート・マーグレフの企画で、60年代アンダーグラウンドを映画にしようと試みた作品。ロバートの知り合いだったチャック・ウェインの提案でイーディを起用する。(チャックも脚本に参加している)
しかし、アンダーグラウンドの人間はジャンキーばかりで撮影がなかなか予定通り進まなかった。予算もはるかにオーバーし撮影再開は1970年まで 待つことになる。

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